✿美容オタクのブログ✿

毛細血管拡張症の克服と、その他美しくなるために試したこと、日々の美容について書いています。

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生まれた時から赤ら顔〜絶望的な毎日〜【赤ら顔①】

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赤ら顔のせいで、小さい頃から本当に辛い思いをしてきました。

そんな、小さい頃からの経過を綴ります。

 

 

 

幼少期

物心ついた頃から私はリンゴのように本当に頬が真っ赤でした。

 

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左が弟、右が私です。

 

ピンク色くらいの頬なら可愛らしいで済むのですが、私の場合は見ての通り真っ赤。

 

幼稚園頃までは、私以外にも頬の赤い子がいたし(東北という地域柄?)、弟も写真の通り赤かったので、みんな″そんなものだ″と、そこまで気にはしていませんでした。

 

 

小学生

気づくと、周りで頬の赤い子はほとんどいなくなっていました。

 

同じように頬が真っ赤だった弟も、気づけば赤ら顔ではなくなっていたのです。

どうやら周りは、成長と共に自然と赤ら顔ではなくなっていったようです。

 

でも私の赤ら顔は少しも良くなることはありませんでした。

 

自分だけが取り残されたような気になり、どんどん自分の赤ら顔を気にし始めるようになりました。

 

赤ら顔のせいで、どんな可愛い服も、どんな素敵な髪型も無意味でした。

何をしても田舎臭くなってしまうのです。

そのうち、赤ら顔のせいであまりおしゃれにも関心を持たなくなりました。

 

小学生の頃から、母のファンデーションを頬に塗って赤みを隠すことを覚えました。

頬が白くなると、不思議と可愛く見える気がして、ファンデーションを塗るのがやめられなくなりました。

 

昔から、私はチークを塗ってる人の気持ちがさっぱり理解できませんでした。

 

なぜ赤くもない頬をわざわざ赤くする必要があるのか?

こんなにも私は赤い頬で悩んでいるのに…

赤みを隠すのに必死なのに…

 

 

 赤ら顔にためしてみたこと

あまりに赤ら顔が嫌すぎて、赤ら顔を治すために自分なりに考えて試したこと。

 

それは家にあった髪のブリーチ剤を頬に塗ってみたことです。(小学4年)

 

 

今考えると恐ろしいですね。肌に悪すぎます。

 

単純に、頬の色がブリーチで脱色できるんじゃないかと予想しての行動でした。

 

当然、よくなるわけもなく…

 

とゆーか、むしろ刺激で赤みが増す始末。

当たり前ですが、自力で家にあるものでは治らないと悟りました。

 

 

小学5年生になったある日、ふと地元の薬局屋の看板が目に入りました。

 

【美白、毛穴、赤ら顔に効く】

と書いてある化粧水のポスター。

 

赤ら顔って、化粧水で治るんだ!!

 

とピュアで無知な私は希望を持ったのでした。

その化粧水が欲しくて欲しくてたまらなくなりました。

 

それからしばらく化粧水のことしか考えられず、迷って、考えて、考えて、迷って…

 

ようやく親へ、自分が赤ら顔で悩んでいることをカミングアウトしたのでした。

そして、赤ら顔に効くらしい化粧水を見かけたこと、それが欲しいと必死に涙ながらに訴えました。

 

しかし、母は私の悩みをそれほど真意に受け止めてはくれませんでした。

 

大人になれば勝手に治るから気にするな。

自分が思っているほどひどくない。と…… 

 

当然わたしはそんなの納得できませんでした。

 

同じ赤ら顔だった弟は治っていて、わたしは治っていない。

成長につれ良くなる傾向も全くない。

 

たぶん、いや、絶対にずっとこのままだと。

何もしなければ、きっと一生わたしはこのまま赤ら顔のままなんだとわかっていました。

 

結局、母に頼み込んで、その赤ら顔に効くらしい化粧水を買ってもらいました。

値段は今でも覚えてる3800円。

 

胸が高鳴りました。

 

これで、塗りたくもないファンデーションを塗る必要ももうない!

悩みがやっと解消される!と。

 

毎晩、毎晩、赤ら顔が治ると信じて、1日も欠かさず化粧水を塗りました。

 

 

結果、………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

意味なし。

 

 

 

泣きました…

 

 

 

経験から言うと、市販の化粧水やクリームで本当にひどい赤ら顔は治りません!!!!

 

あくまで、火照りなどの赤みに効くという程度でしょう。

 

今も、よく赤ら顔に効くと謳っている化粧水やらクリームがたくさん販売されていますが、だいたい気休め程度にしかならないと思っています。

 

内服薬ならプラセボ効果が期待できるかもしれませんが、塗る系のものはプラセボも期待できませんから。 

 

そんなわけで、自力での赤ら顔治療は失敗に終わったのです。

 

小学生という幼さに加えて、昔は今のようにインターネットも普及しておらず、赤ら顔治療についての情報を探す術もなく、諦めざるを得ませんでした。

 

 

自分がひどい赤ら顔だと自覚させられた出来事

病院に入院していた時、同室の面会者が看護師を読んで

「この子の顔真っ赤なんだけど、具合悪いんじゃないの?!!リンゴ病か何か病気じゃないの!?」

と言われたことがあります。

 

その時付き添っていた母が

「大丈夫です(笑)これは最初からなんで!!」

と言ったのです。

 

 

「なんだ!あんまり真っ赤っかだから心配しちゃった!あはははは〜」と面会者。

 

 

本当に、音を立てて心がズキーンと傷ついたのを今でも覚えてます…。

 

忘れられないやりとりがもう一つ。

 

ある日、同級生が悪気なくわたしに放った一言。

「大丈夫、なんか頬っぺた真っ赤っかだよ?具合悪いの?」

 

…何も言い返せず、聞こえないふりをしてしまったのを今でも覚えてます。

惨めすぎて涙が流れるのを必死にこらえたのも覚えてます。

 

なんでこんな体質に生まれてしまったのか…

本当にこの赤ら顔を恨みました。

もう、鏡や写真が大嫌いでした。自分の顔を見たくなかったのです。

 

学校へ行くと、トイレへ行く度鏡を見るのが怖くて仕方ありませんでした。

どうか、どうか、朝より、さっきより酷くなってませんように!

と毎回願って鏡を見ていたのを覚えています。

 

トイレの手洗い場は、目の前に鏡があるので、どうしても自分の顔が目に入ってしまうのです。

 

恐る恐る覗き込んだ鏡に映る姿は、、、

 

 

やはり真っ赤っな頬っぺたの自分の姿。

 

 

嫌で嫌で嫌で、すぐに鏡から目をそらす私。

 

赤ら顔な上に、敏感肌のアトピー肌。

おかけで、寒冷刺激で寒くても真っ赤、暑くても真っ赤、摩擦なんかでもすぐ真っ赤。

恥ずかしい時や怒った時など、感情によっても赤くなる。

 

本当に安定した気候の時でもないと、赤みがましな時なんてありませんでした。

 

 

中学生

中学生になると、もうファンデーションが手放せなくなり、毎日塗ってました

 

塗りたくもないファンデーションを、母の目を盗んで毎日、毎日塗る日々。

 

幸い、中学生にもなると周りも洒落気づき、プチプラのコンパクトファンデーションを学校に持ってきて使ってる子が何人かいたので、わたしだけ浮くこともありませんでした。

 

しかし、私と友達では、ファンデーションを使う理由に大きな違いがありました。

 

私は赤ら顔を隠すだけの目的。

周りはおしゃれや背伸びのため。

 

明らかに周りと目的は違っていましたが、みんなが化粧していたので、コソコソファンデーションを塗ることがなくなり、気が楽でした。

 

しかし、中学1年の時…

 

先生にファンデーションを塗ってることがバレてしまいました。

 

私が原因でした。

 

目をつけられていた体育教師に、いつもの如く呼び出されネチネチ小言を言われている時、顔を近づけられ、「お前、化粧してるだろ!」

 

と、バレてしまったのです。

 

終わった…

 

そう思いました。

 

みんなは白い肌にうっすら塗っていただけだったのでバレることはなかったのですが、

私は赤みが浮いてきて化粧しているのがバレバレだったのです。

 

中学生が学校で化粧しているということが問題となり、ついに担任に呼び出され

一列に並ばされ、一人ずつ思いっきりビンタされました。

 

みんな泣いてたけど、泣きたいのは私でした。

 

化粧なんて、したくてしてるわけじゃないのに…

これから赤い顔で生きていかなきゃいけないのか…

 

赤い顔じゃ、恋愛だってできない。

お洒落だってできない

 

生きていたくもない…

 

いろんな思いが込み上げましたが、悔しすぎて泣けませんでした。

 

おしゃれで化粧してるわけじゃなくて、コンプレックスを隠すためにやっていただけなのに。

 

でも…それは言えない。言いたくない。

 

中学生が化粧をするということは悪いことかもしれないけど、こんな体質のせいだと、本当に自分自身を呪いました。

 

当然、それをきっかけに化粧は禁止となり、取り締まりも厳しくなりました。

 

それでも、もうスッピンでは赤みがひどすぎて人前には出れず、一人こっそり薄く、バレないように、ビクビクしながらファンデーションを塗る生活を続けていました。

 

そんな、絶望でいっぱいで、呪われたように赤ら顔だけに捉われ続けた幼少期でした。